ANSON D.F.RANDOLPH & COMPANY
1880
ハードカバー
258
アメリカ本土からの第三弾の宣教師派遣団に参加したDr.Gerrit P.Judd夫人(1804-1872)の日記.
これはハワイの宣教師であり医者であったG.P.Juddの夫人Laura Fish Juddが残した記録である。
息子のAlbert Francis Judd(ハワイの最高裁長官であり、後藤濶事件の裁判長)が「これは歴史を書き残すことを目的としたものではないし、イザベラ・バードらのように著述家の手によるものではない」としながらも夫がハワイの王朝で果たした役割からこの時代のハワ研究の一級の資料になりえるという自信と誇りを伺わせる前書きを寄せている。
確かにその価値はあった。ハワイに関わった人々、文学者の文章を集めたアンソロジー「Hawaiian Reader(ハワイ読本)」(1959)には本書も引用されている。この「Hawaiian Reader」の編集者であるGrobe Dayは「Books about Hawaii-FIFTY BASIC AUTHORS-」(1977)でも50人の1人として本書の著者を挙げている。
カメハメハ三世の姿、プナホウスクールの設立、ポウレット卿によるハワイ奪取の試み、Dr.Juddの政治的な地位に大きな影響を与えた天然痘流行等、この時代を理解するうえで貴重な著述に満ちている。主力となる産業が捕鯨、白檀であった時代のハワイだ。
日本人の自分からすると、漂流民治郎吉の「蕃談」、続くジョン万次郎の物語にDr.Juddが登場するため、関係する記述を期待してしまうのだが、これは、というものはなく、そこは少し残念。ただ、個人的にJudds、ジャッド一家の物語をハワイの歴史理解の道標、教師と思っているため(先方は迷惑だと思う)本書を手元に置いておきたかった。