一日一想

By | 2017年9月16日
一日一想 ブックカバー 一日一想
大角・ポール
エッセイ
布哇報知社
1967.7.1
ペーパーバック 
151

ハワイ報知に連載されていたポール大角さんのコラム集。ポール大角牧師、あるいは先生として尊敬を集める方だが、著者名は原著の表記に従った。

背表紙に比嘉静観さん(ホノルルで日本語学校校長もつとめた沖縄出身の牧師。歌人としても知られる。)等の推薦文が背表紙に並ぶ。

ポール大角さんのプロフィールは「ハワイ報知100周年記念 ハワイ日系パイオニアズ」に詳しい(1)。1905年生まれで13歳の時にハワイへ移住。飯田耕次郎著「ホノルル日系人の歴史地理」(ナカニシヤ出版)に大繁盛した福壽食堂を経営していた大角寅吉氏という人物に言及があるが、その兄弟のようである(2)。(日布時事に『福壽亭の大角寅吉の息子が歯医者を開業』という記事があり、ポール大角牧師の甥という記載になっている。1940.7.11付け。この甥も大角さんと同じく南カリフォルニア大学で医学を専攻。)

ミッドパシフィックインスティチュート卒業後、ハワイ大学に進学。これは別に紹介した安達正之さんの進路と重なる。安達正之さんと同様にThe Japanese Students’ Associationで積極的に活動されており、1925年版では在学中のミッドパシフィックインスティチュートでの日系人学生の報告を寄せている。1927年版ではハワイ大学の学生として「Inconsistencies」というエッセイを寄せている。「一日一想」を読んだ方には、大角さんが学生時代から一貫した姿勢を取られていることに納得していただけるであろう。このエッセイで先の第一次世界大戦終戦時には厭戦気運からあれほど平和を求める声が高かったのにも関わらず、昨今の諸国間の摩擦から軍拡競争が始まっている状況を憂いている。最後に「”LOVE CONQUERS ALL”」という言葉を投げかけて終わるこの文章から、学生時代からポール大角さんが敬虔なクリスチャンであったことが推測できる。

坂巻兄弟と同様に「Friend Pease Scholarship」を受ける。南カリフォルニア大学で神学修士号を取得。

ハワイで牧師を務めるほかカウアイ島のラジオ局から精神修養話を毎週放送していた(3)。

この影響力が注視されたのか、二重国籍が問題とされたのか(二重国籍でも収監されていない人物もいる)、真珠湾攻撃後はアメリカ本土の収容所を点々とすることになる。ポールさんは体を壊すが、呼び寄せられた家族の看病で回復に向かう。

終戦後、ハワイに戻ってから聖職活動を積極的に開始。1959年からハワイ報知に「一日一想」というコラムを連載。ホノルル・アドバタイザー紙にも「Today’s Thought」という英文コラムを連載。これはアラスカの新聞にも転載された。

日系人のみならず広く愛読され、本コラムの集成を求める声も多かった。まず英文版「Today’s Thought」が刊行。これは続編も含み2冊刊行されている。

2013年にこのコラム集を再編集したものが刊行されている。編集者は息子さんのノーマンさん。こちらには大角一家のコレクション、収容所中のスピーチ等が含まれポール大角さんの思想を理解する一助になるものと思われる。また、時代を超え受け止められる大角さんのメッセージを読み取る格好の一冊となる。

Norman S. Osumi,「Today’s Thought」,Watermark Publishing

A loving son’s story of the Rev. Paul Osumi

“Today’s Thought” by Norman H. Osumi (Discover Nikkei)

ポール大角さんは英文ではPaul S. Osumi と表記される。フルネームはPaul Sutekichi Osumi。恐らく「捨吉」である。健康に育つことを願う両親の気持ちが込められているように思う。最後のDiscover Nikkeiの記事では“throwaway.” と解釈しているが、これは誤りで大切に思われていた証と浅海は思う。

相賀渓芳( 安太郎)著「鉄柵生活」では大角捨吉として登場。収容中でも牧師として活動していたことを知ることが出来る。

古屋翠溪著「配所転々」付録の収容者人名録ではホノルルからの第四回船にて1942年6月21日にアメリカ本土へ出航している(p.448)。大谷松次郎さんも同じ船である。

(1)「ハワイ報知100周年記念 ハワイ日系パイオニアズ」,ハワイ報知社,2012,P.48

(2)飯田耕次郎著「ホノルル日系人の歴史地理」,ナカニシヤ出版,2013,P.38

(3)大角ポール著「一日一想 続編」,布哇報知社,著者略歴