Called from Within: Early Women Lawyers of Hawai’i

By | 2017年6月26日
Called from within ブックカバー Called from within
Mari J. Matsuda(編集)
Biography & Autobiography
Univ of Hawaii Pr
1992-09
344

The seventeen women of the Hawai'i bar whose biographies comprise this book lived through, and were involved in, the dramatic changes that brought Hawai'i from monar-chy to independent Republic to Territory and, finally, to statehood. From a diversity of ethnic backgrounds and allegiances, each of them is characterized by a daring, a sense of adventure, an original personality, and a creative response to the restrictions society placed on women's professional opportuni-ties.

(ブックカバー紹介文冒頭部分)

ハワイ法曹界に名を残す女性弁護士17名のプロフィールをまとめたもの。彼女達の背景は様々でまとめることは難しい。編者Mari J. MatsudaさんのIntroductionはハワイの歴史にふれつつそれぞれを紹介、これをそのまま記載出来ればよいのだが。

自分は個別に三名の方への興味から手に取ったので、全体に目を通していない。本書の目的とは外れた読み方と紹介になってしまうが、その三名の方について言及する。(敬称略)

Almeda Eliza Hitchcock (Moore)

Almeda Hitchcockはハワイ初めての女性弁護士である。ヒチコック家はアメリカ宣教師の流れを汲む。父親のD.H. Hitchcock(シニア)はハワイで最初の法律事務所を開いている。兄のD.Howard Hitchcock(ジュニア)はハワイで最も愛されている画家の一人。浅海も好きで出来るだけ関係書を集めている。

D.Howard Hitchcock-ISLANDER-,Helen Hichcock Maxon,1987

2000年に日本で開催された「ホノルル美術館展」では彼の絵も展示されている。ホノルル美術館に浅海が何度も足を運ぶのは彼の絵が目的だし、ライマン博物館に行くのもそれが目的だった。

自分がAlmeda Hitchcockに持っていた印象は、本来、父の職業を受け継ぐべき兄が絵の世界に行ってしまったので代わりに弁護士の道を選んだというもの。本書を読むとそうではなかったようだ。兄が弁護士になっていても彼女はその一員となり家族で弁護士事務所を続けていたかもしれない。積極的に弁護士の道を選択したように思う。

Almeda Hitchcockがヒロに父親と「Hitchcock & Hitchcock」という看板を掲げた後、様々な事件を経験する。彼女及び父親の体験した事件は本書で一部紹介されているが興味深い。1890年、日本人が被害者となる殺人事件を経験したという。ここでやっと後藤濶殺人事件との関連に気が付いた。

「ハワイ日本人移民史」(1977,P123)から引用する。(これは移民監督官であった毛利伊賀が1921年に語った口述からの引用となっている)

当時ヒロの良検事として剛直の聞えありしヒチコック氏は、今の有名なる画伯ヒチコック氏の兄弟であるが、公平なる人物なりし故、種々と犯人捜索に助力せし結果・・・

この文章には誤りがある。良検事としている「ヒチコック氏」は当時の保安官であるE.G.Hichcockを指すと思われる。E.G.HichcockはD.H. Hitchcock(シニア)の弟であり、Almedaや「画伯」からは叔父にあたる。同名ゆえの混乱だ。当時の裁判記事を読むとE.G.Hichcockは確かに検事役を果たし証人への尋問や証拠の提出を行っている。

本書によればAlmedaを本人不在時の保安官代理に指名している。

1890年5月13日付けThe Daily bulletin紙の SUPPLEMENT(本事件の詳細報)を見てみよう。

The May term of the Circuit Court of the Third Judicial Circuit opened at 10 o’clock this morning. Chief Justice Judd presided. Circuit Justices Lyman and Austin were seated on the bench with the Chies Justice. Members of the bar present were Mr. Charles Creighton, Deputy Attorney-General, Miss Almeda E. Hitchcock, Hon. Paul Neumann, Messrs. D.H. Hitchcock, J. M. Davidson, F. M. Hatch, A.P. Peter son, Jos. Nawahi, Daniel Nawahine, and S. Katsura. Mrs. Creighton sat with Miss Hitchcock at the opening. Kim Cha attended as Chinese interpreter.

Chief Justiceであるジャッドも宣教師一家の出である。Almeda と父親の名前も出席者として挙がっている。本書によればAlmeda はおそらくThe Pacific Commercial Advertiser紙のレポーターとして出席、8年前にヒロに引かれた電話を使って競合者よりも早く情報を届けたという。上記にあるS. Katsuraは日本移住民局主席主席監督桂馨五郎(本名村山三郎)のことかと思われる。

では父親D.H. Hitchcockの役割はなにか。The Pacific Commercial Advertiser紙の5月12日付けの紙面を見てみる。

The case of Eex vs. Messrs. Mills, Blabon. Watson and Steele, murder of a Japanese K. Goto, was then called. Deputy Attorney-Generl a Creighton and Mr. Peterson for the Crown, and Messrs. Paul Neumann and D. H. Hitchcock in behalf of the Japanese Government, and Messrs Hatch and Davidson in behalf of the defendants.

そう、日本政府の代理として法廷に居たのだ。兄弟で被告人の罪を追及したことになる。

新聞記事やアルメイダの役割をみても当時、この事件がかなりの注目を集めていたことは確かだ。時は流れ記憶が薄れかけようとしているが、日系移民達は忘れなかったし、折々、その記憶を呼び起こそうという動きがあった。

「後藤濶のこと」嘉屋文子著1986 英語版もあった

「Hamakua Hero:A True Plantation Story」P.Y. Iwasaki and Berido,BessPress 2010

ビショップ博物館「伝統と変遷-ハワイ移民の物語--The Tradition and Transition, Stories of Hawai’i Immigrants-」展から遺品の懐中時計

2017年現在、映画が製作されている。

アルメイダは残念ながら早逝したが、本書に紹介された事件だけをみても様々な人種が混合するハワイ、ヒロが直面した出来事が見えてくる。

アルメイダについてはまた別にハワイ歴史協会の以下の記事が詳しい。

Almeda Eliza Hitchcock – Wahine Loio, or Lady Lawyer」(Humme June Hitchcock,Hawaiian Journal of History, volume 20, 1986)

余談だが、ハワイ最古の法律事務所は今も活動を続けている。名前は変わり、ホノルル、アメリカ本土等に事務所を持つ名門事務所Carlsmith Ball LLPがそれである。まだヒロに事務所が残っている。そこには以下のような写真が掲げられている。この写真の時期はよく判らない。場所も今のヒロ事務所とは異なるが、近い場所のはず。

トランプ大統領令The travel ban に異議を唱えたGeneral Doug Chinも一時期この事務所(ヒロではない。Managing Partnerとして )に所属していたという。

Harriet Bouslog

アメリカ全土で弁護士の代名詞といえばクラレンス・ダロウになると思う。浅海のなかでハワイの弁護士と言えばHarriet Bouslog になる。

本書を手にする前に彼女についてある程度の知識があった。このDVDを観ていたからである。

PBS HAWAI‘I PRESENTS Biography Hawai‘i: Harriet Bouslog

DVDの内容はyoutubeで公開されているので、時間があれば観て頂きたい。

https://www.youtube.com/user/harrietbouslog

ハワイは死刑廃止をしている州のひとつだが、そのきっかけの一つである事件で死刑停止に奔走するなど、エピソードに事欠かない。もっとも注目すべきは彼女が徹底して労働者、弱者の見方であったことである。その姿は後進の目標になったであろう。例えば本書に取り上げられているLily Miyamoto Okamotoも確実にその影響を受けている。

また、ILWUの労働者側に経ち、マッカーシズムへ対抗したことは第二次大戦下の民主党主導のハワイ政治への道筋を作ったとも言える。

本書刊行時、彼女は存命中だった。手元にある書には、関係者に本書を配るため貼ったと思しきラベルがある。その文章は本書の刊行意義にも通じると思うので、全文を引用させて頂く。

In 1888, the Kingdom of Hawai’i
issued its first license to practice law
to a woman. In contrast, the 1873
United States Supreme Court upheld
an Illinois law that denied a woman
the right to practice law.
I am one of the seventeen pioneering
women lawyers who practiced
between 1888 and 1959 when Hawai’i
became a state. Six of us are alive and
well, either practicing or retired
Today, there are over 1,000 women
lawyers in Hawai’i, many of whom
are active in the State and Federal
governments.
Our book shows the great progress
that has been made for Hawai’i
women lawyers, and I am honored to
present you with this copy.
HARRIET BOUSIOG

HARRIET BOUSIOGについてはオンライン上で閲覧できる記事は多い。共産主義への恐怖が生んだ「Hawaii Seven」の事件に関しての記事も多いので、併せて検索してほしい。この事件で被告となったKoji Ariyoshi も同じシリーズでDVDが出ている。併せて観るとこの時代への理解が早い。

PBS HAWAI‘I PRESENTS Biography Hawai‘i: Koji Ariyoshi

また、以下の記事も判りやすく、以前、harrietbouslog.comからリンクが貼られていた。

Lawyer, Risk Taker, and Champion of the Underdog

harrietbouslog.comは今は閲覧出来ないが、過去のアーカイブを観ることはできる。

Patsy Takemoto Mink

彼女のプロフィールはいくつか読んでいたが、本書では祖父の世代まで遡って細かく記載している。この記載で彼女が三世であったことを本当の意味で意識できたのだった。幼いころ、家庭では英語を使うのが普通であり、祖父母と会うときに日本語を使うくらいであったという。二世であったダニエル・イノウエの自伝にあたってみると、当初こそ日本語での日常会話であったが両親はのちに意識して英語しか使わないようにしていた。ミンクさんから五年後に生まれたLily Miyamoto Okamotoは同じく三世だが学校に行くまでは英語が喋れなかったとのことだが、高度な教育を受けるためには英語が必須だと父親は認識していたようだ。大恐慌の時代に生きていたからである。これからは教育が武器になる。

別の書「A Heart in Politics-Jeannet Rankin and Patsy T.Mink-」(WOMEN WHO DARED SERIESの一冊,Sue Davidson,1994)では、ラジオでルーズベルト大統領の「炉端談話」を聞いていた記憶があるという。株価の大暴落は彼女の生まれた二年後の1929年に起きているのである。

編者のMari J. Matsudaさんが指摘しているとおり、彼女は辛うじて戦後の日系政治家台頭の波に乗ることが出来た。しかし、世代としては若い三世。彼女が学業を進めるうえでG.I.ビルを手にした元兵士が競争相手になっていた。また、政治家に身を転じても日系男性を競争相手にせざるを得なかった。イノウエ議員の自伝にも意に添わず議席を彼女と競わなければならなかったと苦渋を込めて回想している。早く生まれた三世として、彼女は歴史の流れに乗ると同時に競争を勝ち抜く必要があったのだ。

目次
Foreword
Acknowledgments
Introduction
1. Almeda Eliza Hitchcock (Moore) BY SUZANNE ESPENETT CASE
2. Marguerite Kamehaokalani Ashford BY MARGUERITE K. ASHFORD-HIRANO
3. Carrick Hume Buck BY MARGARET SILVERMAN EHLKE
4. Rose August BY PATRICIA MCHENRY
5. Jean Vaughan Gilbert BY BAMBI E. WEIL
6. Rhoda Lewis BY JUDITH R. HUGHES
7. Ruth Winifred Loomis BY RHONDA L. GRISWOLD
8. Harriet Bouslog BY MARI J. MATSUDA
9. Sau Ung Loo Chan BY BLOSSOM Y. TYAU
10. Betty Morrison Vitousek BY SUSAN MOLLWAY AND VALERIE SMITH BOYD
11. Margaret Scott Tekeli BY CYNTHIA H. LEE
12. Alana Wai Lan Wong Lau BY JACQUELYN DESMARETs
13. Marybeth Yuen Maul BY KAREN M. HOLT
14. Patsy Takemoto Mink BY ESTHER K. NAGA AND RENE E. JIRI
15. Mary Helen McCrea Stevens Weaver Pitts BY CAMILLE A. L. CHUN-HOON
16. Betty Barrett Gillette BY CAROLYN LOUISE STAPLETON
17. Lily Miyamoto Okamoto BY SANDRA L. GOFORTH
18. Other Women in the Law Before Statehood BY AGNES C. CONRAD
Contributors
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