ハワイの声

By | 2017年10月15日
ハワイの声 -日系米人の随想録ー ブックカバー ハワイの声 -日系米人の随想録ー
ウエハラ・ユクオ(上原征生)
五月書房
1975/11/15
ハードカバー
209

本書の書誌情報は奥付のものを転記している。奥付には「非売品」となっており私家本と思われる。

奥付の著者略歴を以下に転記する。

ウエハラ・ユクオ(上原征生)

明治38年生まれ
ハワイ大学名誉教授

主著「日本童謡集」英訳
「日本農民歌」英訳
「日本語入門」
「草径集」英訳
「白波五人男」英訳

 

著者が様々な媒体に発表してきた随想、および昭和30年刊「日系文化」からの転載をまとめた随筆集。一部新規に追加した文章もあるという。

「序」には前ホノルル日本総領事高良民夫さんが文章を寄せられている。

手持ちの本書にはカバーがない。私家本のためもともとカバーは無かったのかもしれない。また、謹呈本のようで、著者のサインと落款が見開きにある。

株式会社文生書院さんのサイトにて『布哇日本語教育史』復刻の解説記事にこのような記述がある。転載させて頂く。

幸い、ハワイには若き上原征生(熊本県出身・苦学力行型)がおり、終生ハワイ大学における日本語教育を天職とした日本人がいた。1930年代中葉におけるハワイ大学日本語科(東洋学 = Oriental Studies の一部門)は、原田助(アムハスト大学を経てエール大学で学位取得・同志社総長)を筆頭教授として、国友忠夫、そして上原征生(ハワイ大学卒・早稲田大学大学院に学ぶ)の陣容であった。上原は後年『ハワイの声・日系米人の随想録』(五月書房・1975年刊)を著わし日本でも幾分知られるようになった。彼の「損」をしているところは、名前の読みが難しいことと(「ゆくお」と読む)、英名が Uehara Yukuoでなく Uyehara Yukuoであったこと、それに加えて人生の途中でアメリカに帰化したからかも知れない。

著者の心のどこかにこの帰化ということにこだわりがあるのかもしれない。本書の前書きはこのように始まる。

私のハワイでの身分は第一世だか第二世だかあやしいものですが、(もちろん、こんなことはどうでもいいとして)国籍上では少年時代にハワイに渡ってきた帰化米国民市民ということになっています。

この部分を読み飛ばしていたが、河路由佳さんのご研究を読んでからは気になってくる。あとがきの「私の略伝」に、日本生まれで日本国籍の自分と、二世で日本国籍を離脱し教師となっていた奥様との結婚の際、日本への結婚届を(奥様が日本国籍になってしまうので)出さず、奥様の職を維持しようとされている。

著者のように親と一緒に渡布した一世と、ハワイで生まれた二世では「二重国籍」に対する疑念にたいしての対処方法も異なっていたのである。

本書を読んでいると、タイトルの「ハワイの声」に込められた気持ちが端的に表れている記事がそこここに見つかる。代表的なものが「『一つの世界』へ向かって」という布哇報知からの一編である。ハワイにいる日系人も「日系」というワクにとどまらず、せっかくハワイという多様な文化が混合する地にあるのだから「孤立した日系の社会があるかのような錯覚をおこさないことである」としている。

また、「日本調」だとか「西洋式」という言葉や観念を脱皮し、人間としての個人を総括する新しい文化が生まれつつあるように思われる。そして「一つの世界はハワイより」と言うことが出来ると思う。(本書p.133)